2016.2.25
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ドアノーさんが生前決して言わなかったことがあります、それは彼がレジスタンス運動に参加していたことです。彼はカメラに出会う前、15歳で印刷工場の職人となったのですが、その頃会得した技術を生かして、ナチス占領下のパリでユダヤ人のために偽のパスポートをせっせと作っていたのです。以前ディナーに時に戦争中は何をしていたのですか、と質問した時には「いやな時代だったよ。フイルムも手にはいらなくてね、じっとしていたよ。」と言っていたのですが、実は地下に潜っていたのです。アメリカ人がナチスを追い払ってくれた時に、フランスにはにわかレジスタンスがあふれた、と言いますが、本当のレジスタンスは黙っていたのです。一本筋が通った人間、とはこういう人のことを言うのでしょう。今回の展示で、レジスタンスの印刷工場と言うのがありますが、実はこの写真はパリが解放されたあとに再現して撮ったものだということを娘さんが教えてくれました。
「父は言ってました。『彼らこそ本物の英雄であった。どうしてもそのことを記録に残しておきたかった』と。」
パリが解放された時、写真家たちには2本のフイルムが配られました。たったの36枚分です。今歴史に残るパリ解放の写真はすべてこれらの少ないフイルムでとられたそうです。で、多くの写真家がナチスと寝た女たちがリンチに会い、髪を丸刈りにされている様子を撮りましたが、ドアノーは言いました「僕は可哀そうな女たちにカメラを向けたくなかった。」
「大きな事故の現場に居合わせたこともあった。仲間は皆、馬鹿だな、儲けるチャンスなのに。と言ったのだが僕は不幸な人にカメラを向けるのはどうにも申し訳なくてできなかったよ。」それが我らが愛するドアノーです。
甘い、と思う人もいるかもしれません。でも彼が郊外の灰色の町、ぬかるみで遊ぶ子供たちや、ひしゃげたような顔の疲れた労働者を撮る時、今の人は「なんてチャーミングなパリの子供かしら」とか、「さすが味のある顔の労働者、」と感嘆するかも知れませんが、フランシーヌが言うように、彼は、パリ市の美しい建造物に住めない城壁の外の貧しい者たちが、ひどい住宅で、ひしめいているのをカメラに収めることで無言の告発をしていたのです。そこで正義感に鼻をふくらませるかと思いきや、ウインクして彼は言ったものです。「貧困は光をよく捕らえるんだよね!」「僕は彼らを利用させてもらっているのさ。」へへへって。
ドアノーさんの最後のポートレートとなった緒方拳さんの撮影のコーディネートをしました。1993年の正月でした。ドアノーはベルヴィルのメニルモンタン公園のあたりを歩きながらここには何があった、といちいち昔のパリの話をしてくれました。今はすっかり瀟洒な住宅街ですが、昔は貧民街でボロボロの家ばかりだったそうです。どうして貧しい人の顔に興味があるのですか?と私が聞いたら。そのときにも言ってました「貧困は写真映りがいいのさ」って。「若者や金持ちはのっぺりして光が滑るんだ」確かに彼の写真はしっかり人をとらえています。それで今でも生きている。
今、恵比寿でやっている写真美術館のドアノー展を見ると、彼の眼を通して20世紀のフランスが見えます。昔のカメラはブレずに撮るのが難しかったそうですが、展示を通して、郊外の質素な家に生まれた男のブレなかった一生が見られます。写真って撮る人の視線を表します。彼はいつも言っていたそうです。僕は自画像しか撮れない。って。彼は感情移入した時しかシャッターを押せなかったそうです。ここに写っているすべてがドアノーの顔です。時にはさびしくて、躍動したり、滑稽になったり、必死になったり。人間を大切にした人間の顔です。
サラヴァ東京では昨年の1月にピエール・バルーと堀江敏幸さんと招いてドアノーの郊外を語るイベントを開きました。いつか、彼らで今のパリの郊外をめぐる散歩をしたいね。と言っていたのが印象的でした。いつか実現するでしょうか?
ロベールドノアー写真集、ご興味があればスタッフまで

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